こんにちは、桃生ににこです。今回は前回の記事の続き的なこと。
前回の記事で好きのバランス、内訳について書いたのですが、これを読んだ人のうちの少なくない数が「なんで、好き!のパーセンテージ、こんなに低いの?」って思ったと思います。で、相手に100%もしくはそこに違い割合で、自分の全てを好き!って思って欲しい気持ちはモラハラな相手に関わってしまう可能性も上げてしまいます。
これって毒親育ちの思考と関連していて…毒親の定義は色々あるけれど、ここでは子供の自己肯定感に歪みをもたらす親とします。
毒親育ちだと100%の愛を恋人や友達に求めるようになる
私自身も毒親育ちで、うちの場合は徹底的に否定しまくる親で友達と比べて戒める、容姿や所作を貶す、無知であることをバカにするとかそういう感じかな?とにかくまったく合格点に到達してない人間だ、的なことを言われまくりました。
一般的には親からたくさんの愛情をもらえるはずなのに、自分はもらえなかった!ってなると、他の誰かから欲しい!ってなって。それが恋人だったり友達だったりします。
なので、恋人や友達に自分を100%好きになって欲しい!って感情を抱くようになって、場合によっては100%であることを確認するために、この私を受け入れてくれたら100%の愛だろうって少々過激な行動に出てみたりすることも。(試し行動って呼ばれるやつですね)
一般的な親は子供の100%を愛しているのか?
んじゃ、一般的な親は子供の100%を愛しているのか?ってなると、どうなのかな?って話で、子供を愛してはいるんだけど、細かい部分は全てそれが自分にとって好ましいものって思っているか?っていうと、そうではないのよね。
私自身も親になって子供はすごく可愛いし、愛してる!と言えるけど、彼らの全てについて肯定的に捉えているか?って言ったら、そうではない。(まだ0歳と3歳なので、そこまで否定的になるような要素もないんですけどね。何度言ってもご飯を拒否してお菓子を欲するとかそれくらい)
で、その愛してるの中身でいうと、前の記事にあげたこうい割合なのかな?と思います。
見てないところでして、とか、許せない!みたいなことは成人?思春期あたりから出てくるのかな?と思います。
大事なのは「どうでもいい」についてで、これは関与しないとか突き放すとかそういう意味ではなく、そうであることを否定せずに、相手の個性としてそのままであることを尊重するってことです。基本的に相手の全てについて「素晴らしい!」「好き!」って思うって、難しくて…(恋愛初期ならあるかもしれないけど、その場合って相手について知っていることはごくわずかだったり、その感情を長期間維持することは難しかったりします。)
これって、私の考えや行動と違うな、ってなった時に「まぁ、完全に賛同!とは言わないけど、アリよね」って思うのか「それは人として間違っているから、全て正すべきだ、正さない限り君を人だと認めない」みたいになるのか?その違いだと思うのです。
なので、いい親って全てをいいね!って言ってくれる親ではなくて、違った価値観があったとしてもそれを否定せずに、まぁ、そういうあり方もあるかもね、って思ってくれる親。
で、愛してるってのは、ここに関してはどうでもいいってのを含めてトータルではすごい好き!ってことかな?と思います。
認められたい願望の強い人はモラハラ男・女に注意を!
100%認められたい!って思う人が注意しないといけないのは、モラハラ男、女ですね。モラハラの人ってどういう人か?っていうと、「君のココとココは好き!だけど、ココとココが足りないから、そこが変われば100%愛してあげるよ」ってのをストレートだったり比喩的にだったりアピールしてきて、相手を自分の意のままに操ろうとする人ですね。
相手の描く理想の形になれれば、100%愛してくれるかもしれないけど、おそらくその状況はやってこないし、仮に愛されたとしてもそれはもう自分自身ではないので、思い描く100%認められるとは違うことだと思います。
誰かに自分の全てを認められたい!って人が注意しないといけないのは、100%を好き!って言ってもらえることはないこと。そして、愛してくれている人ってのは相手に対して、自分の価値観と違う部分があってもそれを否定せずに、賞賛しなくても、そのままの状態でいることをありとしてくれる人、というのを意識すると恋愛の形がより良い方向に動いていくと思います。