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その常識はどこまで常識なのか?

常識とは何か?

こんにちは、桃生ににこです。今日はいつもとは少し違ったお話を。最近なんだか、この時のことを思い出すんですよね。

私が小学校3年生になった時、クラス替えで新しい友達ができた。新しい友達2人と私で3人のグループだった。その子達は住んでいた地域では当時一番高いと言われるマンションに住んでいて、二人がする会話についていけないなぁ…と感じることがたまにあった。

「私立中学か公立中学か?」「あの学校は頭がいい」とか。私立公立って括りがあることも知らなかったし、頭のいい学校ってのが存在することも、ましてやその学校の具体的な名称も私は知らなかった。

何かの話の流れでインナーの話になった。二人は「スリップ」って言っていて、話にイマイチついていけなかった私は「それってシミーズのこと?」って聞いたら「なにそれー!」ってめちゃくちゃ笑われて、我が家の常識は外では全然通じないことがあるのか!って衝撃を受けた。

そこからしばらく、家の中では聞くけど、外ではあまり聞かないワードについて、自ら口にすることをすごく躊躇するようになり、「これは外で通じるのかどうか?」をすごく考えるようになった。小学校卒業する頃までだろうか。

泊まりで行く、林間学校の直前は、お風呂の中で桶を見て「オケってちょっと変な響きかも。これはみんなオケって言うんだろうか?」ってお風呂に入るたびに思っていた。実際にみんなでお風呂に入って、普通に桶って言っていたから「あ、これは桶で正しいんだ」って安堵したり。

今思うと笑い話というか、過敏になりすぎだろう、当時の私って思う部分もあるけれど、家の中の常識が外では常識ではないかもしれないって疑いを持つ機会を得たことは非常に貴重だったな、と思う。

うちは毒親って呼ばれる部類で他の家とはちょっと違うけど(といっても、世の中毒親と呼ばれる家が多すぎるので、ある意味多数派でもあるかもしれないが)ここが全て正しいわけじゃないって知ることは今後の人生をいい意味で大きく変えたと思う。私自身占星術でいうと月は11ハウス双子座なので、自然と親と距離を置くような流れになったのかもしれない。

自分の中の常識を疑うって仕事でも恋愛でも人生でもすごく大事なこと。特に親から「こうあるべき」「こういうものだ」って言われてきたことって必要な躾もたくさんあるのだけど、未来で羽ばたく!ってなった時に、可能性の幅を必要以上に狭めていることもある。

今は時代の変革期で様々な枠をどれだけ壊して超えられるか!?が求められるので。今目の前で起こっていることを改善したいと思うならば、まずは自分の中で「これはこうすべき」って思っている事に対して、本当だろうか?それ以外にないのだろうか?と考えるところから始めると道が開けるかも。

世の中で成功している人って少なからず「常識外れ」って評価をされているけれど、常識を覆す力がないと大きく羽ばたくことは難しいってことでもあるよね。

逆に、自分が常識だと思っていることで実際は普通の人は取り入れてなくて、取り入れたら世界がめっちゃ良くなる!ってこともあるので、常識か否か?それを守るか壊すか?は一度考えた方が良いですね。

ちなみに、このシミーズ事件!?の前から基本的におばあちゃん家にいることが多かったので、シミーズってのはおばあちゃんから習った言葉です。幼少期の楽しい思い出っておばあちゃんとしたことが多い。

シミーズって今はもう言わないのかな?って思って検索してみたんだけど、今も使うのね。通販サイトではシミーズってカテゴリを設けているところがあった。正しくは形状によってスリップだったりシミーズだったりするようです。今はどちらもあまり使わず、キャミソールとかベビードールとかが主流かしらね。

そして、2人の友達については、三人でいすぎたからか、5、6年では3人とも別のクラスへ。一人は私立の中学校に行ってしまって、今どこで何をしているかわからない。もう一人は、私は中学で転校しているので、小中から続く友達って少ないんだけど、その少ない中の貴重な一人として今も交流があります。